「単なるマスコットじゃなかった」「悲しくて受け止めきれない…」 ヤクルト「つば九郎」“中の人”死去に多くの人が涙する理由(東洋経済オンライン) – Yahoo!ニュース

恒例の「空中くるりんぱ」にチャレンジして失敗するつば九郎(写真:時事)

2月19日、プロ野球チーム・東京ヤクルトスワローズのマスコット・キャラクター「つば九郎」を支えてきた社員スタッフが永眠した――との発表がなされた。

発表を受けて、球界のみならず、各所から追悼のコメントが寄せられ、沖縄・浦添キャンプ敷地内の「つば九郎神社」には供え物が届けられている。

亡くなられたスタッフの方は、顔が見えない“中の人”という存在でありながら、影響力は多大であったと思う。

野球人口は減少を続けており、プロ野球人気にも陰りが見えはじめている状況にある。一方で、野球に限らず、スポーツは試合を観戦するだけでなく、周辺のエンターテインメント要素も重要になっている。

つば九郎以外にも、中日ドラゴンズのドアラなどのマスコット・キャラクター、さらには北海道日本ハムファイターズのファイターズガールは、プロ野球ファン以外の人にも興味を持ってもらううえで重要な存在だ。

マスコット・キャラクターは古今東西、あらゆる所に存在、活躍もしているのだが、つば九郎のようなキャラクターは日本ならではの存在で、一種の「日本文化」といってもよいだろう。

つば九郎スタッフご逝去の追悼も兼ねて、“中の人”文化の価値について書いてみたい。

ディズニーキャラクターに“中の人”は存在しない

欧米のキャラクターの大半は、あくまでも「キャラクター」として独立した存在であり、“中の人”の存在を感じさせないような設定がなされている。

ディズニーのキャラクターが象徴的だ。ミッキーマウスはあくまでもミッキーマウスであり、“中の人”は存在しないことになっている。

「ディズニーランドで出会うミッキーマウスの着ぐるみの“中の人”はどういう人なのか?」という疑問を持つ人も少なくないのだが、その情報は厳重に管理されているようで、ネタバレすることはない。

当然のことながら、ミッキーマウスの“中の人”が亡くなったとしても、ディズニーや、東京ディズニーリゾートを経営するオリエンタルランドが追悼文を出すことはないだろう。少なくとも、筆者はそういう表明は見たことがない。“中の人”は公式的にはいないのだから、当然と言えば当然なのだが……。

ディズニーに限らず、欧米のキャラクターは、性格や行動様式がしっかりと定められており、“中の人”が自身の判断で自由に振る舞うことはできないことが多い。マーケティング戦略に基づいてトップダウンで方針が決められることが多く、現場の裁量でうまくやってもらえばよい――という発想にはなりづらい。

Related Posts